ブログの記事を書くにあたって、人によっては「3,000文字は書こう」なんていう場合がある。記事のボリュームがある一定以上あったほうが、Googleでの検索結果として表示されやすいから、というのが主な理由だろう。
まぁ否定はできない。記事の内容が充実してるほうが、読み手にとってはうれしいだろう。読み応えがあるほうが、読者だって楽しい。
でも、なんでもかんでも文字数が多ければいいかって、そういうわけではない。
どうしたら3,000文字というノルマをクリアできるかを必死になって考えて、回りくどい言い回しや不要な言葉を付け加える技術ばかりを競いあったって仕方ないのだ。子供のころに書いた読書感想文のようなことを、いいおとながするもんじゃない。
ぼくはむしろ、記事のタイトルで答えがわかるような記事こそ、読み手にとっていちばん嬉しい記事なんだと思っている。
他人の時間を貪り食べて生きる怪獣
たとえば「iPhoneが固まって動かない!」と困っている人に向けて「iPhoneの電源を強制的にオフにして、再起動すると解決するよ!」という趣旨の記事を書こうと思っているとする。
このばあい、ぼくが考えるベストなタイトルは「iPhoneが固まったら強制終了&再起動でだいたい解決する」みたいなものだ。
このタイトルの素晴らしいところは、記事を読まなくても読み手の悩みを解消できる点にある。Googleで「iPhone 固まった」と検索したユーザーは、検索結果に表示されるこのタイトルを見るだけで、ほとんど問題が解決してしまうのだ。
これは、ぼくにとっての利益はないかもしれない。ぼくたちブログを書いている人たちは、自分のブログにアクセスしてもらって初めて1PVとなり、広告を踏んでもらって初めて収益が上がる。
検索結果でユーザーの悩みが解決してしまっては、ブログへアクセスする理由がなくなってしうため、旨味は少ない。そうであるから、一般的には「読み手がクリックしたくなるようなタイトルをつけよう」と広くマニュアル化されている。
でも、ぼくにとっては、ユーザーの悩みが解決するなら、それで良いと思っている。
ぼくらブログを書く人たちは、読み手の時間を食べて生きている。人にとって二度と取り戻すことのできない「時間」という有限な資源を、貪り食べている怪獣なのだ。
ぼくは、ひとりの人からいっぱい時間をもらって、お腹を満たそうとは考えていない。食べずに済むなら、それが一番やさしい怪獣なのだ。
短くてもブログで書く意味とは
「短い文章で人の問題解決をしたいなら、Twitterにでも呟いてろよ」と聞こえてきそうだ。もっともな意見だと思う。
それでもぼくが、あえてブログとして記事にするのは、多くの人に届けたいからだ。
Twitterで呟いても、見られるのはせいぜい3,000人のフォロワーだけ。そこより外に発信するためには、その人たちのリツイートという協力が必要になる。
その点ぼくのブログは、1日で万を超えるアクセスをいただいている。広く人に役立つ情報を届けたいと思ったら、やっぱりブログのほうが、ぼくにとっては有効な手段なのだ。
それに「iPhone 固まった」と検索したときに、Googleがピックアップしてくれるのは、Twitterのコメントではなく、メディアとして公開している記事である。だからやっぱり、Twitterでつぶやくよりも、ぼくはブログに書いておきたい。
ぼくはやさしいかいじゅうでありたい
書評として書いた記事のタイトルを「犯人は山田太郎!」とするのは、もちろん、あまりにもナンセンスである。言って良いこと・悪いことの境界線は、人としての持っておくべき気遣いの心で判断するべきだ。
ただ、記事のリンクを踏んでもらうためだけにつけられた、明らかな煽り文句や遠回しな表現はするものではない。これはブログを書くものの、せめてもの良識だと、ぼくは個人的に考えている。
これは文章を書くぼくらもそうだが、動画の作り手なども同様だ。人に何かを届けることを選んだぼくらは、みんな、時間を貪り食べる怪獣なんだ。
だったらぼくは、せかいでいちばんやさしい怪獣でありたい。