ぼくは昔から、ひとりで過ごす時間が友だちと過ごす時間と同じぐらい好きだった。
誤解をされると困るからいうけど、別に人といる時間が嫌いなわけじゃない。等しく好きだけど、同じぐらいひとりの時間が好きなのだ。
人の目を気にせず、自分だけでおもちゃを振り回し、自分の世界に没頭している時間。親は心配したかもしれないけど、その時間がぼくにとっての幸せだった。
大人になっても、やっぱりぼくは、ひとりの時間が好きだ。さすがに人の目は気にするようになったけどね。
しかし大人になって困るのは、ひとりの時間が昔ほど簡単ではなくなってしまったことである。
ぼくには妻と娘がいる。会社にいけば仕事仲間がいる。行き帰りの通勤には、見知らぬ顔と肩を並べて電車にゆられる日々。
自分ひとりだけでいられる時間は、歳をとるごとに、手に入りづらいものになってしまうらしい。
だからせめて、外にある音を自分の世界から放り出して、自分だけに没頭できるような、そんな「疑似ぼっち」を作り出すことが、ぼくには必要だった。
それを実現するために、いまぼくが重宝しているアイテムが、Sonyのノイズキャンセリングヘッドホンである。
実はこれ、最新ではない。ちょっと型落ちしているし、なんならメーカーの生産は終了している。それでもぼくは120%満足して使っている。
ノイズキャンセリングで擬似ぼっち
「ノイズキャンセリング機能」については、それを発売しているメーカーのコンセプトや技術に応じてさまざまなので、一概に「こういうものだ」と提言するのはむずかしい。
なのでこれは、あくまでぼくの持っている「h.ear on Wireless NC(MDR-100ABN)」の感想だと思って欲しい。
まず、ノイズキャンセリングといっても、外の世界の音をすべて排除してくれるものではない。いわゆる「耳栓」と同じものだと考えてしまうと、すこしイメージは違ってくる。
あくまで「ノイズ」を排除するものであって、「サウンド」をすべては消さない。なので普通に聞こえる音もある。たとえば、人の話し声などは、ヘッドホンをしていても聞こえてくる。
「じゃあ何が聞こえないんだ」というと、「雑音」だ。
世界は音で溢れている。音楽、人の話し声、車のはしる音、ものが当たる音、足音、工事の音、エアコンの音——。いつもは気にもとめていないだろうけと、「雑音」というものが確かにある。
これは、なくなってみて初めて「こんなにも世界は雑音にまみれていたのか」とわかる程度。そんな、ほんの些細なノイズだ。
それはまるで雪の日の——
想像してみて欲しい。
朝、布団のなかで目が覚める。なんだか今日は嫌に寒く感じるな。そう思って、重いまぶたをこすりながら、そのまま窓に目をやると、白い何かがチラついている。
体は寒さで動こうとしないのに、心だけは子供に戻ってしまったみたい。ワクワクが止まらない。もしかして——いやまさか——でも本当に?のっそりと身体を持ち上げて、重い体がゆっくりとカーテンを開ける。
街は白く染まっていた。
しんしんと降り注ぐ雪で街は覆われ、一夜にして別世界のようだ。人なんか歩いておらず、そこは自分だけの白い草原。
窓を開けると、そこだけは音を置き去りにしてしまったみたい。音までも凍りついてしまったのだろうか。寒さで縮こまっているのかもしれないな。
ぼくだけが立っている、たのしい自分だけの世界。
これに似た感覚
ノイズキャンセリングのヘッドホンをする。すると、ぼくはいつでもあの、雪の日の朝に帰ることができる。
それがたとえ、人混みにまみれた渋谷でも、疲れた顔が並べられた田園都市線でも、忙しなく行き交うサラリーマンの合間をぬって歩く神保町でも。
いつでもぼくは、あの雪の日に飛び帰ることができる。
あるいは年末、12月29日の商店街にも似ている。街の人は、帰るべき古巣に帰り、街だけが帰る場所をなくして、その場にとどまっている、あの年末の空気。
決してすべての音がなくなるわけではないけれど、聞く必要のない音を、ぼくの世界から放り出してくれる。それがぼくの持っているヘッドホンのノイズキャンセリングの性能だ。
だからぼくは、よく、とても頻繁に、音楽を効かずにヘッドホンだけをつけていることがある。音楽を楽しみたいときもあるが、静寂を楽しんでいたいときも、同じぐらいの頻度であるのだ。
h.ear MDR-100ABN
ぼくが買った「h.ear on Wireless NC(MDR-100ABN)」は、型落ちモデルではあるが、品質や性能に不満を感じたことはない。
オーディオマニアでもなんでもない、ただの一般人のぼくではあるが、音楽は心地よく聴いていられる。音質も良くて、高音も低音も、普通に、もしくはそれ以上に楽しめる。
Bluetoothの接続も申し分なく、ブツブツ切れるなんてことはない。重量がちょっと重いかなと感じることはあるが、頭頂部分にあるクッションや、耳のクッションが柔らかく、やさしくぼくにフィットしてくれるので、長時間身につけていても問題はない。
ノイズキャンセリング機能は上述のとおり。追加すると、人の話し声が上手く聞き取れるのは、本当に重宝している。
デスクでヘッドホンを付けているとき、同僚に話しかけられても気づくことできる。電車内のアナウンスも聞き取れるので、乗り過ごすこともない。聞こえるべき音が聞こえるっていうのは、日常生活の中ではとても便利なのだ。
選ぶなら「ヘッドホン」で「オーバーイヤー」がオススメ
もし今日の記事を読んで、ノイズキャンセリングに興味をもってもらえたら、それはとても嬉しい。そんな人のために、もう2、3点ほど、ぼくからお伝えしておこうと思う。
まず、イヤホンかヘッドホンか。ぼくはヘッドホンのほうをおすすめしたい。イヤホンのように、耳の中に入れるタイプは、なかなか雰囲気がでない。つまり「自分の世界への没入感」が薄れる感じがするのだ。
同じ理由で、ヘッドホンの形状も「オーバーイヤー」が良い。ヘッドホンには2つの形状があり、耳の上に乗せるタイプの「オンイヤー」と、耳を置い隠すタイプの「オーバーイヤー」がある。
オーバーイヤーのほうが、ぼく自身を包みこんでくれるような、そんな感覚があって好きなのだ。
好き。つまり好みの問題で、慎重に検討するなら、やっぱり自身でいろんなものを試してもらったほうがいい。店頭でいろいろと聴き比べをしてみると、わからなかった発見があるものだ。
もちろんぼくが買った「h.ear on Wireless NC(MDR-100ABN)」にそそられたのなら、それも嬉しい。けれどこれも型落ちモデル。Sonyからは以下の最新モデルが販売されているので、こっちを検討したほうがいいかもしれない。
まとめ
自分の時間はなくとも、自分の空間を作ることはできる。
人によってはお風呂のなかかもしれない。人によってはジムのランニングマシーンで走っているときかもしれない。ぼくにとってそれは、Sonyのヘッドホンを付けているときだった。