会社の先輩が放った一言が、未だに私の頭を駆け巡っている。
「俺は、紙とペンだけあれば仕事はできる」
その言葉に違わず、先輩は今も黙々と白紙に向かってペンを走らせている。
私の会社はウェブ制作会社であり、ネット上にコンテンツを制作するのが仕事だ。従って、パソコンを使っての作業が主となる。
メールでのコミュニケーションに始まり、提案書などの資料作りなど、パソコンが無ければ仕事にならない。
しかし先輩は言う。「紙とペンだけあれば仕事はできる」と。この言葉が、今も私の頭の中を駆け巡っている。
私の仕事はなんだっただろうか…
先輩も私と同じ「ウェブディレクター」という立場にいる。一言で言えば、プロジェクトを管理運営する「総監督」のようなものだ。
ウェブページの制作は、主にデザイナーやコーダー(HTMLを組み人)が制作物を作ることで成り立つ。つまり、実際にクリエイトするのはこの2人なのだ。
その間ディレクターは、チュッパチャップスを咥えて見ているだけではない。
クライアントとコミュニケーションを取り続け、デザイナー・コーダーとコミュニケーションを取り続け、プロジェクトが円滑に進むように手を回す。
これが、1つ目の私の仕事。
そして、仕事はもう1つのある。"ディレクターのクリエイティブ" な部分である "考える" という仕事だ。
クライアントからの要望に対して、ベストな解決案を提示する。クライアントの要望は時に方法論であるから、その根本にある目的を引っ張り出しては、クリティカルな解決案を提供する必要がある。
「何がクライアントを困らせているか」「クライアントが達成したいものは何か」「どうしたらクライアントの目的を達成できるか」
これらを日々考えるのが、私たちディレクターの重要な業務になる。
"考える" ためにパソコンは必要か?
パソコンを使っての作業は、非常にスピーディーだ。物事を人に伝える手段として最適だし、見栄えの良い資料を作るには最高のツールだ。
しかし、"考える" についてはどうだろう。この方法が最適だろうか。ここに最近、些か疑問を感じている。
思考の整理・アイデア発想・深層理解。頭の中で行われる作業を手助けするツールとして、果たしてパソコンは最適だろうか。
先輩が放った言葉が私を囚えて放さない原因は、ここにあるような気がしている。つまり、思考を手助けするツールとして、パソコンは最適でない。そう感じているのだ。
では何が最適かと言えば、それは冒頭での先輩の言葉の通り「紙とペン」だろう。
いや、先輩の言わんとしていた事は少し違う。
「紙にペンで書いていること」こそが、そのまま「考える」という事なのだ。「考える」と言うのは、「紙に向かってペンで書き込むこと」を指すのだろう。
私は、そう解釈している。だから先輩は「紙とペンがあれば仕事ができる」と言ったのだろう。
パソコンに向かっていては仕事にならない
"考える" という作業は、ディレクターの大きな仕事の1つだ。
そして「紙に向かってペンを走らせること」こそ、「考える」という行為そのものだった。
私が仕事だと思って行なっていた「パソコンに向かって行う作業」のほとんどは、考えることを放棄した時間である。
思い返してみれば、パソコンを使っての作業は事務的だ。メールの受け答えや資料の作成は、考えながらやっているように見える。しかしその実、クリエイティブに物事を考えている時間ではなかった。
思い返してみれば、最近ノートに向かってペンを走らせている時間が足りてないなぁと感じていた。それはつまり「考える時間が少ない」ことへの危険信号だったのだろう。
費やした紙とノートの数だけが、"考えた" という結果を表す。
"書く" ことを止めた時点で、自分の思考を止めたことになる。
今まで、PCやウェブなど便利なツールに頼り過ぎていたようだ。先輩の言葉を噛み締めながら改めて思うのは、私も「紙とペン」で勝負をしてみたいということだ。
あとがき
"書く" ということが、そのまま "考える" という行為の表れなのだとしたら、今まで私はどれだけ考えなしに生きてきたのでしょう。
自分に対する情けない気持ちを抑えながら、今日から真剣に "思考" と向き合っていこうと思います。
それでは、今日はこのあたりで。