エッセイ メディア運営

デジタル万引きと、Ctrl+CとVで無限に広がる世界

digitalmanbiki-to-kopipe

「デジタル万引き」という言葉があります。Wikipediaによれば、

書店やコンビニエンスストアなどの店頭で販売されている書籍や雑誌の内容をカメラやカメラ付き携帯電話などで撮影し、その書籍や雑誌を購入することなく情報を入手する行為

via:デジタル万引き - Wikipedia

ということらしいですが、本来はもっと広義で使われるべきだと思っております。つまり「デジタル的にパクる行為全般」としたほうが、今風なのではないかと。

たとえば最近だと、「ぱくたそ事件」なるものがありました。概要はこうです。

ぱくたそ事件

ぱくたそ」では写真素材を提供しているのですが、この画像は誰もが自由に、そして無料で使っても良いとして、ライセンスフリーで提供しています。

これらの写真素材は、ライセンスフリーですが、利用規約で「サイト内で配布している写真素材を他社で販売することができない」としています。

しかし「Shutterstock」という画像販売サイトで、この「ぱくたそ」の写真を有料で販売していることが発覚。不正利用・利用規約違反が浮き彫りとなりました。

※詳細は以下の記事がわかりやすく、参考になると思います。

参照:Shutterstock、フリー素材サイト「ぱくたそ」の写真を有料販売ーーサイト運営者が明らかに | gori.me(ゴリミー)

今日時点での事件の決着は、「Shutterstock」で不正販売をしていたユーザーはアカウントを削除、無断逃亡。サイトの運営者である「Shutterstock」からも正式な回答がなく、宙ぶらりんという形であります。

Ctrl+CとVで増え続ける世界

digitalmanbiki-to-kopipe_1

この件はたまたま明るみになっただけであって、世の中には似たりよったりなことが、まぁたくさんあるわけです。

こういうデジタルなデータってのは、だれでも簡単にコピーができて、ボタンひとつで複製できる世界です。ぼくが書いているブログのこの記事でさえ、まるっとコピーして、ペーストすれば、1分で横領できちゃうわけですよ。

ただ、この問題がむずかしいのは、境界線があいまいなんですよね。「ぱくたそ事件」みたいな、明確な規約違反は取り締まれるんですが、なかにはグレーなやつってのもあるんです。

たとえば最近ぼくがもやっとしたのは、とある洋服のレビュー記事でした。大手洋服チェーン店で試着した洋服を、あれやこれやと品評して、それをレビュー記事として公開してるものでした。

記事の意図などは事前に店員さんに許可をとっているそうで、気にならない人は「べつにいいんじゃないの?」って思うかもしれません。

ただぼくは、やっぱりどうも、もやっとするのです。店内にある洋服を手にとって、着回して、写真を撮って、それをまたハンガーに戻して、やるだけやったら店を出る。

「一部の洋服は買っているんだから問題ない」
「許可とってるし、誰にも迷惑かけてない」
「なんなら記事を読んだ人は最新のファッション事情を知ることができてみんなハッピー」

——なのかもしれません。

だから明確にブッブーともいえず、ただただぼくが心の中でもやっとしているだけ。

「お金」が絡むとややこしい

digitalmanbiki-to-kopipe_2

こういう話をもっとややこしくするのはかんたんで、「お金」の話を持ちだすんです。すると雲行きは一気に曇天模様です。

「ズルするな!タダで拾ってお金稼ぎはダメだろう」ということですね。

ぱくたそ」も、個人が使う分にはオッケーとしています。それを、そういう人の優しさにつけこんで、お金を稼ごうとする、小ズルいことを考えるからダメなわけでして。

じゃあ、服を試着して記事にするのはどうかというと、これまたむずかしい。

直接売り物にはしていないので良さそうですが、ぼくらブログを書く者たちは、広告から収入を得ているわけでして。すると、間接的にはお金稼ぎに一役買ってるなーと。考えようによっては。

だからとってもグレー。ただモヤモヤするだけ。

そういえばこの前、ミカンをいただいたんですよ。余らせちゃってたみたいで、ぼくも思わず「ほしいです!」って。

くださるってことでしたから、ちょっとつまらない物をお返しにお渡ししました。そんな、割とどこにでもある話。

でも「お金」を持ち出すと、ややこしくなるわけです。

「くださる」ってものに対して、ぼくがお金を払おうとすれば、それはなんだか違うでしょう?いただいたミカンを、ぼくが誰かに売ったら、とっても角が立ちます。

デジタルの世界も、そんな普通の「人情」みたいなもので繋がれたらいいのに。そんなことを考えさせられた、最近であります。

薄汚れていても「白」でありたい

digitalmanbiki-to-kopipe_3

ともあれ、他人の事情に首を突っ込んでないで、自分はどうするんですかって。

ぼくは「限りなく白に近いところにいたい」と思うのです。

「グレーである」という表現があります。「白とも黒とも判断がつかない」って状態を表現した言葉ですが、これを「白でもあり、黒でもある」って意味と混合しちゃいけない。

「白」は「白」以外はあり得ないのでありまして、「グレー」って言っちゃったら、それってもう、ちょっと黒く染まっちゃってます。

まぁ「純白」ってことはないと思います。知らず知らず薄汚れてしまうこともあるでしょうよ。

それでもぼくが「白でありたい」と思いつづける限りは、ぼくは「グレー」ではなく、「白」でいつづけることができるんです。

関連キーワードからさらに見る

\ この情報をシェアしよう! /

  • この記事を書いた人

ばんか

Webディレクターとしてサラリーマンをやりつつ、個人でブログや執筆活動をするパラレルキャリアを実施中。 ITツールを日常で活かす方法を広く伝え歩くことをミッションとした「ITツールエバンジェリスト」です。AllAboutやYahooクリエイターズプログラムでも活動中。

-エッセイ, メディア運営
-, ,