ついこの間、妻と久しぶりのデートをした。ふたりっきりのデートだ。羨ましいだろう!
娘を家族に迎え入れてからというもの、ドタバタと賑やかない日々は楽しいんだけど、夫婦ふたりの時間なんて、ほとんどない。
太陽の照っているときなんて、まずむずかしい。月が煌々と輝き、子供が寝息を立て始めてからしか、ようやくわずかな「ぼくらの時間」が取れる程度だ。
まぁ、どこの家庭もそんなものだと思う。
夫婦ふたりの二子玉デート
ある日、幼稚園に長く預かってもらえる日ができた。普段なら14時ごろに迎えに行くべきところを、少し長めに、16時まで園が預かってくれる。なんと素晴らしい日だろうか。
妻からその話を聞いたとき、二つ返事で有給をとった。ためらいなんてなかった。
その日までを迎えるまでの準備時間は、本当にたのしかった。なんせ、ふたりだけでお天道さんの下を公然と歩くなんて、じつに4年ぶりだ。
あれをしようか、どこにいこうか。
子供といっしょだと、辛いものを食べることすらできなくなってしまうから、久しぶりにタイ料理なんて食べようか。
あとはのんびり買い物をして、ゆっくりコーヒーなんていうのもいいな。ハーブスのケーキを食べながら、のんびりコーヒーを飲むんだ。
妄想は膨らむ。
結局ぼくらは二子玉川に出向いた。行き慣れたところではあったけれど、ぼくらにとっては、今まで見てきた二子玉川とはまったく違う街だったろう。
自分たちのことだけを考えて、見たい洋服をみて、ぜんぜん買う目的もない雑貨屋を覗いて、そのときの気分でチョコレートを食べる。
過ぎゆく時間が、幸せの感情といっしょに流れていく。うしろへ、うしろへ。
昔は、なんてことのない日常だった。ふたりでデートしているときは、いつもそんな感じだった。性格はぜんぜん違うぼくらだけど、空気感は似ていたから、計画をしながらも計画から外れることを楽しんでいた。
あのときのぼくは、ぼくらが「ふたりでデートすることに憧れている」なんて、想像もしてないだろうなぁ。どうやって「普通じゃない、特別な日にするか」に頭を抱えていたのに、いまになったら「普通の日」が恋しくなっているんだから、不思議なものだ。
でも、もし今のぼくが、昔のぼくのところに行って、「子供ができたらデートできなくなるんだから、今のうちに楽しんでおけよ」なんて言っても、きっと信用しないし、言うことなんかきかないだろうね。
結局ぼくらは一方通行
よく「わかいうちに遊んでおけよ」とか「○○するなら今のうちだから」みたいな話を聞くわけだけど、あれ、あんまり意味ないもんだなぁと思うわけです。
そのときには、そのときにしかない、大事なことがある。未来を経験した人が、過去の人間にアドバイスをしたとしても、きっと自分ごととしては受け入れられないだろうね。
だからいまのぼくから、むかしのぼくにアドバイスができるとしたら、「今を一生懸命たのしめー」としか言えないね。
後先や後悔をしないってのは難しい。けれどもぼくらは一方通行でしか生きられないのだから、それはもう真っ直ぐ一歩ずつ踏みしめて歩くしかないのではなかろうか。
じぶんがいま「楽しい」と思えていることに、全力であること。じぶんの気持ちに素直で、正直にあること。これがたぶん、いちばん後悔が少なくて済む生き方なんだろう。
そんな話を、娘が幼稚園から帰ってきて、大きくなったら聞かせてあげようと思う。