夕食も食べ終わり、歯磨きも終わり、風呂もはいり。あとは寝るだけだというとき。小学2年生になる娘が、目にうっすらと涙を浮かべながら、突然ぼくに話しはじめた。
「運動会って、なんでやんなくちゃいけないんだろう——」
——なにをいっているんだ。そう思った。さっきまでお風呂で大声張り上げながら応援合戦の歌を熱唱していただろうに。
しかしこの涙も嘘ではない。何かしら事情というか、なにか思うところがあるのだろう。
『なんで嫌なの?さっきまであんなに楽しそうに謳ってたのに』
——答えたくない様子。しかし諦めずに問いかける。しつこく聞いた5回目の「なんで?」のあと、ようやく重い口がひらいた。
「だって——負けるのいやだもん」
なるほど。その気持ちはわからなくもない。しかしぼくは、娘が大事な "モノ" を見落としていることが気になり、諭すように語りかけた。
「結果」だけを求めてはいけない
「負けた」「勝った」っていうのは、走り終わってわかる結果であって、それを自分の力でどうこうすることはできないんだよ。
頑張って走ったからって、かならず一位を取れるわけじゃない。けど、一緒に走るのがどれだけ速い相手だったとしても、一位が取れる可能性もある。
最後にどんな結末になるかっていうのは、そのときになってみないとわからないんだよ。
だからぼくもお母さんも、きみの "結果" がどうなったかは、正直どうだっていいんだ。もちろん一位だったら喜ぶよ!けど、うれしいのとはちょっと違うかな。
じゃあ何が大事なのかって言ったら、君が何をしたかだよ。
起こる結果を自分で選ぶことはできない。でも、唯一きみが自分の思い通りにできることがある。
それは、目の前のことに一生懸命に取り組むことだよ。つまり、一生懸命に走ること。
それだけはきみの自由だ。それだけが、きみにできること。
だから、きみは目の前のことに真剣に取り組むだけでいい。その先がどうなるかなんて、心配するだけ無駄だよ。目指すのは大切だけど、そうならなかったからって、悲しむことはないよ。
だから、全力で走りな。
その結果がどうだろうと、それは "起こった事" ってだけであって、それが二位でも三位でも、たとえビリだったとしても、きみを責めたり、悲しんだり、残念がったりはしない。だから、緊張しないでだいじょうぶだよ!
その代わり、手を抜いたり、はじめから諦めていたり、適当にやってたら、それは怒るよ。全力でやることに意味があるんだから。
——でね。
世の中って不思議なもので、自分にできる事に集中して、そこに一生懸命に力を注いだら、自然と "いい結果" が舞い込んでくるもんだよ。
あとがき
と、いうようなことを伝えた。
正直どこまでわかってもらえたかわからないが、彼女には、結果だけを追い求めるのではなく、そこに向かう道のりを楽しんでもらいたいと思う。
結果が自分の思い通りにならなかったとしても、そのことに対して、必要以上に後悔したり、凹んだり、落ち込んだりする必要はないんだ。
大切なのは「向かう方向」であって、「結果」じゃない。そう、自分にも言い聞かせながら、娘を諭したのだった。