個性を主張するのは、どこかお門違いだと私は考えています。
その主張の矛先は、私が担当している「アシタノレシピ」に書かせてもらいました。
個性やオリジナリティを主張するのは止めなさい。青の絵描きと黒の絵描きの話。
私がこうやってブログを書き綴っているため、私の周りにも多くのブロガーがいます。
そんなブロガーが、必ずと言っていいほどぶち当たる壁が一つ。「自分の色を出した文章が書きたい」というものです。
これは何も、ブログをやっている人だけに言えることではありません。もっと広く、人はみな等しく「自分という存在を唯一無二のものにしたがる」んだと思います。
ですが、そもそもあなた自身はすでに唯一無二であって、代わりがあるものではありません。なのに皆、無理にエッセンスを加えて「自分は他人と違うんだぞ!」って主張したがる。
果たして、そこに意味があるのか。
そんなことより、私には、もっとやるべきことがあるように思えます。
自分から生まれたオリジナルなんて、無い
まず最初に話すべきことがあります。それは、あなたが持つ全ての物は、あなたが元来から持っていた物ではありません。
つまり、あなたの血となり肉となっているのは、あなたが今まで食べたものなんです。
あなたの考え方や、物の見方、行動の指針や価値観。それらすべては、あなたが今まで経験したことによって構成されています。
デザインのセンス、好き嫌いの感性などなど。どれひとつ取っても、あなた自身から、ゼロから生まれたものはないんです。
でも、模倣や真似によってできているのかと言えば、それも違います。
すべては、あなたが食べてきたものが組み合わさってできたもの。ジャンルやカテゴリーなんて関係なしに、あなたが関わった全てのことがハイブリッドされて生まれます。
その組合せが、あなたを構成しているんです。
じゃあ話を元に戻して、「個性とは何か?」という問に対する答えですが。それは紛れもなくあなた自身です。
じゃあ「個性的な人間になるには?」と問われたら。今のままで充分個性的ではあるものの、より他人と差別化される人間になりたいと望むなら、どうすればいいか。
それは、どれだけ多くの物を食べるかだと思います。
結局、あなたが何を食べてきたか
あなたを織りなす全てのことは、あなたが今まで五感で感じたものの組合せです。
見て、聞いて、感じて、味わって、嗅いだもの。これら全てが相まって、相乗効果を生み出します。
だからこそ私は、多くの物を食べるべきだと言うんです。食わず嫌いをせずに、食べようと言いたいんです。
AとBの組合せは、2通りです。「AB」か「BA」のどちらか。
AとBとCの組合せは、6通りです。「AB」「AC」「BA」「BC」「CA」「CB」のどれか。
自分の中に、どれだけ多くのサンプルを持てるか。これが、あなたの幅を広げることなはず。それ以外に、あなたを広げる方法はありません。
食べた分だけ自分の幅が広がる。自分を表現する方法もまた、今まで手にしてきた物の多さで幅が広がる。
芸術家は、自分の頭の中にある光景を、どうにか人に伝えようとします。それが絵であったり、音楽であったり、言葉であったり。方法は様々です。
頭の中にある光景こそが個性なのであって、それを表現する方法に個性やオリジナリティを求めるのは違うのではないか。そう、私は思うのです。
あとがき:詳しい話は物語で
この話については、若い青年画家の話を聞いて頂くのが一番いいです。
個性やオリジナリティを主張するのは止めなさい。青の絵描きと黒の絵描きの話。
私は物書きです。私も多分に漏れず、人とは違う文章・自分だけの言い回しが欲しいと思ったときがありました。
しかし、それを求めても、結局迷走するんです。自分が話したかった話しぶりと、かけ離れていく感覚もありました。
何も考えず、ただただ単純に「どうしたら相手に伝わるのか?」を考えていた方が、よっぽど楽です。
そういう「自分から滲みでるもの」を増やすために、ツベコベ言わずにまずは色々食べましょう。