日記を書く際に、気にかけていることが一つあります。
それは、”手紙のように書く”こと。
私はいろんなことに対して不精な節があり、日記もそのひとつでした。つまり、筆不精というやつです。
しかし、そんな筆不精な私でも、この日記だけ不精を脱し、書き続けられている習慣なのです。毎日、一日の終りにその日のできごとをカンタンにまとめて、Evernoteに残せるようになっています。
これを続けられている一つのコツが、”手紙のように書く” ということ。これを意識するだけで、随分と日記が書きやすく、そして日記という行為が楽しくなりました。
では、日記を手紙のように書くとはどういうことか。そして、それが何故楽しいのか。
今日は、そんなお話。
宛先は、未来の自分
手紙というからには、宛先があるものです。では、日記における宛先、読み手とは誰でしょうか。
もちろんそれは、未来の自分です。
これは私の考え方のひとつでもあるのですが、私は、未来の自分と今日の自分とは違う人間だと考えています。
もちろん、全くの別人ではありません。同じ自分という人間ですから、価値観や想い、記憶や経験などの一部は、明日へ引き継ぐことができます。
ですが、すべてではありません。
明日になれば感情が変わり、明日になれば記憶が改ざんされる。明日になれば忘れてしまうし、明日になれば今日とは違う生き方をしてしまう。
それほど人は曖昧なものなんです。
だから、ToDo管理でやるべき事を残し、Missionや価値観を書いて人生の芯を忘れないようにするわけです。
少し話がそれました。
そんなわけですから、日記というカタチを取りつつも、明日の自分・未来の自分のために残すメモという本質は変わりません。日記というのも、手紙のひとつの形なんですよ。
手紙とは、ストーリーを持つもの
そうすると、自ずと日記の書き方も変わってきます。単に投げっぱなしの、事実だけを書いた文章ではなくなるんです。
例えば、私は昨日桜の木に花が咲いているのを見ました。
もしその事実だけを書くのであれば「会社からの帰り道に桜が咲いていた。」という、色気も味気もない文章になってしまいます。
しかし、これを未来の自分へ宛てる手紙にするのであれば、もう少し書き方も変わってくるでしょう。
「今日、会社からの帰り道に、桜の木が花をつけているのを見つけたよ。今年初めての桜。新しい季節、新しい一歩を感じた気がしたんだ。」
実際、私はこんな日記を書きました。こうやって披露するには小っ恥ずかし文章ですが、本来見るのは未来の自分だけですので。あまり恥ずかしがらずに、キザったい文章を書くことも、ままあります。
ですが、これを1ヶ月後、半年後、もしくは1年後の同じ季節に読み返したとき、楽しさが全然違うのです。
なぜ楽しく感じられるか。
それは、ストーリーがあるからです。
1年前の自分の感情や想いの変化など、覚えているはずもありません。ですが、こうやって心情の変化や感じた想いをつらつらと書き連ねることで、1年前に立ち返ることができるのです。
また、例えこの場面を思い出せなかったとしても、未来の自分は、過去の自分が生きた一日に味わいを感じることができます。
このストーリーを持たせるためにも、手紙という意識が役に立つのです。
メモや日記という形式だと、読んで聞かせるという意識をとても持ちづらい。未来の自分に何を伝えたいのか、目的が見えにくい。
だから ”誰かに宛てて書いている” という意識を持つために、私は日記を手紙のように書いているのです。
あとがき
今回は考え方だけで、具体的な方法論まではお話しませんでした。
方法論については、また後日お話します。
予告としてお話すれば、「テンプレートを作ることで、書きやすい形式を先に作ってしまう」というのが主な方法になります。これについては、また詳しくお話ししようと思います♪
まずは、私が根本に持っている ”日記” についての考え方をお話ししたかったもので。
最近、やっと読み返せるほどの日記が溜まってきました。これを見返しているとき、単純な文字の羅列のときと、手紙のような文体とで、明らかに楽しさが違ったのです。
その気づきが、今回のエントリーのキッカケでした。
もし、明日の自分に伝えたい事があれば、彼・彼女に向かって手紙を書いてみてはいかがでしょうか。
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