コーヒーを飲む。その目的を達成するためだけであれば、100円玉を握りしめておけば達成できる。しかし世の中には1000円札を出しても飲めないコーヒーもある。
私はどっちのコーヒーだって好きだし、場合によっては1000円以上のコーヒーを飲むことに抵抗を感じないことだってある。
それは、そのコーヒーに1000円以上の価値があると本気で思っているからだ。
味だけではない1000円の価値
本当に1000円もの原価が必要なコーヒーなんて、そうそうないと思う。1000円支払ったからと言って、コーヒー自体に1000円はかからない。
でも、大事なのは「そのコーヒーを飲むのに1000円かかる」という事実ではなく、「そのコーヒーを飲むのに1000円を支払うだけの価値があると、自分が感じるかどうか」が大切なんだと思う。
そして私は、"非日常" を手に入れるためのお金なら、喜んで支払う覚悟をしている。
非日常を手に入れるための出費
私は今、帝国ホテルのラウンジにて、1260円のカプチーノをすすりながらタバコを吹かし、この文章を書いている。
それは少し贅沢な時間だし、普段の生活では実現できない "非日常" の世界に身を投じられる数少ない機会のひとつだ。
決して、ドリップのコーヒーでは手に入れられない経験。今までの人生を思い返しても「夜中の0時に帝国ホテルのラウンジでブログを書く」なんて言うのは初めての経験だ。
私はこういう "非日常" を大切にしたいと常日頃から思っている。
そこには色んな理由がある。
例えば、一般と違う経験はネタになる。場合によっては笑いのネタにもなるし、人との会話を盛り上げるネタにもなる。今日の経験で言えば「東京都内で過ごせる贅沢な時間」という話の中で役に立ちそうだ。
例えば、過ごした時間の重さが違う。子供の頃は目にするもの全てが新鮮だから、流れる時間は普通よりも長く感じるものだ。しかし大人になれば知識と経験が蓄積されて、初めての経験が少なくなる。その中で、こういう新しい刺激は積極的に取り入れたいのだ。
支払う値段は自分が決める
いずれにしても、何かを手に入れるもの時に支払う対価は、提供している側が決定しているように思えて、実は支払う側の人間が決定している。
どんなに高価なシロモノでも、支払う側の人間が「その価値がない」と判断すれば、「自分が感じる価値を伝えて、支払う対価を下げる」か「そのシロモノを手に入れない」という選択ができる。
無駄遣いが多いと感じるなら、それはきっと、モノの価値を自分で測れるものさしが足りていないのだろう。明確なものさしを自分で持っている人は、そこの「無駄な出費」と言うのは存在し得ないのだから。
……と、タバコを吸うために決して安くはない1000円のコーヒーを飲むことを余儀なくされたこの状況に、1000円以上の価値を作り出すため、こうしてブログを書いている日曜の夜でした。