思いつきやノリ、勢いといったものが、ときに素晴らしいギフトを届けてくれることもある。
この前の土曜日、妻と娘をつれて、山梨のフルーツ公園まで日帰りのドライブへと勇んだ。前もった計画などではない。完全なる思いつきとノリと勢いだった。
朝起きて、朝食を食べているときも、その日の予定は決まっていなかった。「今日の予定をどうしようか」なんて話をしながら、食べ終わった食器を洗っていた。
「自転車の練習したい!ねぇいいでしょー!」と娘はいう。ぼくは乗り気になれなかった。自転車の練習といえば、いつも通りのルートを通って三軒茶屋にいくだけ。先週の休日と変わらない一日になる予感がした。
「うーん」なんて生返事をしながら、どうにか彼女の気をそらせるような妙案がないか、必死に頭を回転させる。しかしこういうときにぼくの頭は決まってくだらないアイデアしか出てこないものだから、結局iPhoneに頼ることになってしまう。
「日帰り ドライブ 都内」で出てきたランキングに目を通していると、美味しそうなフルーツの写真に手が止まった。
「ここなんてどうだろう?」妻に提案する。
『あーそこ、いつか行ってみたいと思ってたところだ』妻が言う。ぼくは内心ニヤリとした。
「じゃあ行こう!」
『いいね!でも家の買い物はしたい』
『やだー。自転車の練習もしたい』
なかなかうまくいかない。「じゃあ今から娘と二人で自転車の練習に行くから、その間に買い物いける?昼食はお弁当を車内で食べるか、途中のパーキングエリアで食べよう」
この提案が通って、晴れて今日の予定は山梨日帰りドライブ旅行となったのだった。
出発時間は12:30。到着予定時間は15時ごろだったが、そんなことは気にならなかった。帰りが夜遅くなることも予想できたので、スーパー銭湯に入れるように着替えも準備して、いざ出発。
あぁ。こういうときにはカーシェアリングの契約をしておいてよかったと実感する。二連休の土曜の昼間でも空きがあるのは助かる。
「おおきいお風呂に入れるの?やったー!」さっきまで自転車がーと言っていた娘も、すでにこの小旅行の虜になっていた。
露天風呂から見た絶景
無事に山梨につき、美味しいものをたらふく食べる。それだけでも幸せだったが、それ以上に空気が美味しかった。
眼前にそびえる富士山と、春のほがらかな風に乗って運ばれてくる桜の花びら。今日の朝9時には想像もしていなかったほどの癒しが、ぼくと妻をつつんでくれていた。娘は——舞い散る桜の花びらを必死に追いかけて楽しそうである。
夜、遅いおやつ時間で、夕食も入らないほどお腹がいっぱいなぼくらは、夕食の前にお風呂に入ることにした。デザートをいただいたホテルからすぐ近くの、山の上に構えるスーパー銭湯だ。
娘と一緒に露天風呂へ行き、富士山を眺めながら娘に語りかける。「今日は楽しかった?」『うん!またみんなで大きいお風呂はいりたい!』
彼女の嬉しそうな声と笑顔を見るだけで、今日の小旅行による臨時出費のことは忘れられる。何度も、何度でも、彼女にはすばらしい景色を見せてあげたいと思うのだ。
「そろそろ出ようか。おかあさんも待ってる頃合いだ」そう言って湯船を出ようとしたまさにその瞬間、季節外れの花が夜空に咲いた。
ひゅ〜………ドンッ!
ぱらぱらぱら………。
まさか露天風呂に浸かりながら花火を見られる日が来ようとは……。娘とぼくは、何度も何度も打ち上がるその花火を、気の抜けた冴えない顔をして、ただただぼーっと眺めていた。
あとから聞いた話によると、あの花火は、ホテルで行われていた結婚式のグランドフィナーレを飾るためのものだったららしい。思いがけぬ、幸せのおすそ分けをいただいてしまった。
思いつきが計算を上回る
夜はもう深く、車のヘッドライトだけが道を照らす中央道を進んだ先の、談合坂のサービスエリアの車内にて、疲れ切って眠りこけている娘を横目に、妻とぼくはスターバックスのコーヒーをすすっていた。
娘には内緒の二人だけの時間。こういう時間が、実は死ぬほど好きなぼくがいる。
「今日は楽しかったね」『ねっ!思いつきにしては充実した、楽しい一日だった。またみんなで来ようね』
その言葉を聞いて満足したぼくは、空になったコーヒーをサイドポケットにいれて、ぼくは車のエンジンをかけた。
計画することは大切だ。とくに家族での生活は、自分だけの時間で動いているわけではない。ぼくに「こうしたい」があるのと同じぐらい、いやそれ以上に、みんな「こうしたい」がある。
でも、たまには「思いつき」に「ノリ」と「勢い」を付けたしてみるのも良いのかもね。家族との過ごし方だけじゃなくて。
人生の中では「思いつき×ノリ×勢い」が、意外と重要なんだと、そういえば過去を振り返ってみると気づかされることも多い。
どれだけ頭で想像しても、決してたどり着けなかった結果が、ギフトとして得られるかもしれない。打ち上げられたあの花火のように。
その結果が、盛大に転ぶことになったとしても、家族みんなで一緒にコケるなら、それもそれで楽しい思い出になれる気がする。ひとりでコケても、あとで笑い飛ばせたらいいさ。