あのジャック・スケリントンのように、ぼくの頭がポロッと取れたら、きっとぼくの頭と体はずっとケンカしているのだろうな。
でもこれは、きっとぼくだけじゃない。だれでもきっと、「頭ではわかっているのに——」って経験があるのだと思う。ぼくだけが特別に心が弱いんじゃないはずだ。
体「あー。チョコレート食べたい」
頭「こんな夜遅くに?!ダメに決まってるだろう?昨日、ダイエットしようって話し合って決めたじゃないか」
体「うるせー!腹が減ったしストレスでイライラするんだから、今日だけいいんだよ(パクッ」
ほら。こういうことはあるのさ。いつだって——いや、必ずというわけではないけど——だいたいの場合は、体のほうが強い。無理を通してくるのは、いつだって体のほうだ。
この前もそうだった。
誘惑に負けるとき
来週必要になる資料を、いま作っておかないと、直前になって徹夜まがいに仕事をしなくちゃいけなくなるのは、明らかだった。頭ではわかっていた。
でもぼくはそれをせず、体がしたい「気持ちのいいこと」ばかりを優先してしまった。ブログの改修をして、ときにはゲームをして、録画してあったドラマを妻とみて——。
気がつけば、ぼくの背後には月曜日がすぐそこまで迫ってきていた。
さっきまで日曜日くんも楽しそうだった。ぼくと手をつないでルンルン気分だったのに、「じゃあ、そろそろ帰るね」と、彼はとつぜん乱暴にぼくの手を振り払って——。
そしたら急に後ろから「やぁ」って声をかけられて、ぼくはビクッと身を震わせた。後ろを振り返れば、彼の吐く息がぼくの鼻先をかすめるぐらいに、月曜日くんは迫っていたのだ。
ぼくの「理性」が強ければいいのに……
しかしぼくには納得できないことがある。
「もうすぐ月曜日」とわかるやいなや、頭が急に本気を出すのだ。さっきまで体がマウント取って、やりたいようにやっていたはずなのに、この土壇場になると頭がキレはじめる。
どれだけ体が「もう眠いし、資料は作らないで、明日ごめんなさいすればいいや」となっても、頭が「はぁふざけんな、眠かろうがなんだろうが、資料作りやがれ」って、迫真の顔で怒ってくるもんだから、体もしぶしぶやらざるを得なくなる。
じゃあ最初から、頭のほうが本気でだして、体をうまくコントロールしてくれたらいいんじゃなかろうか。なんで先週の水曜日に、頭は本気を出してくれなかったのだ。
まったくぼくは納得できないのである。
なぜあのときの約束をぼくは守り続けられているのだろうか
だがしかし、そういえば昔、頭と体の意見が一致して、穏便に事が進んだケースがあった。ぼくがタバコをやめたときである。
それまでぼくは、1日に1箱ていどはタバコを吸うような生活だった。しかし、妻の妊娠がわかったその日から、ぼくはタバコを1本たりとも吸わなくなった。
初めての禁煙ではなかった。「タバコをやめよう」と試みたことはあったが、1〜2週間もすれば自然とまたタバコを吸い始める。そんなようなことが、今まで何度もあった。
しかし、妻が妊娠したこのときだけは違った。この日を最後に、ぼくが再びタバコに火をつけることはなくなったのだ。
あのときは、頭も体も、一切ケンカしなかったなぁと思いだした。たしか「やめよう」と提案したのは頭だったと思う。
「もうお前ひとりの人生じゃないぞ」「タバコにかけるお金があったら、子どもに使ってやれ」「タバコ吸ってる時間があるなら、妻や子どもに時間つかおうや」などなど。
頭は、あれやこれやと、プレゼンをしていたような気がする。でも、たしか当時、体はそんな話をほとんど聴いていなかったように思える。
「タバコをやめなきゃいけない理由」なんて聴かされなくてもよかった。頭が「やめよう」と提案したその瞬間から、体のほうも「OK」と快諾していた。そんな感覚だったように記憶している。
「納得」は何よりも優先される
ぼくには、明らかに「頭」と「体」が分かれている感覚がある。全然べつの存在がふたつ、ぼくの中に同居していて、ぼくの「ココロ」が静かにその二人のやりとりを見守っている感覚だ。
「ココロ」は干渉しない。口も出さないし、誰の肩も持たない。ただそこにいて、事の顛末を見守っているだけ。
この感覚は、あながち間違っていないらしい。
たとえば、重いものを持つとき、急に持ち上げるとギックリ腰になる可能性が高くなる。しかし「持ち上げるよ」と自分自身に声をかけてから持つと、ギックリ腰になるリスクを減らせる。声をかけることで「体」が準備する時間ができる、というのが理由らしい。
「頭」と「体」。この2つが衝突しないで、穏やかに事が進むようにするには、どうすればいいだろうか。
ぼくが考えるに、理由はいらないんだと思う。「理由」は「頭」が提案する、論理的な根拠だ。しかしそれでは「体」が納得しないことがある。
「理性」と「感情」が手を取り合うには、理由はいらない。
そこに必要なのは、たったひとつ。2人が納得できる「動機」だろうと、ぼくはそう思うのだ。