エッセイ

ひらがなの抽象化した「かたちかな」に感銘!人のもつ推理力の落とし穴

ときに、以下の画像が何を示しているか、わかるだろうか。

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答えはひらがなの「ま」である。

これは、とある方が Twitter で公表した卒業制作で、名を「かたちかな」というらしい。読める読めないの境目・抽象化の限界を測るもので、センスに溢れた作品だ。

文字を構成する要素をこれほどまでに分解しても、ある一定のルールと秩序を保てば、文字として認識できるというのは驚きである。

人の持つ推理力の高さ

しかしこの抽象化文字、ひとつひとつバラバラに存在していたら、言い当てるのは難しかっただろう。

あるいは近くで集中して見ていても同様、推察は難しい。ただの直線と曲線を組み合わせた記号でしかない。

面白いのは、遠目で見ると読める点。そして「ことば」「文章」として組み合わさると、途端に理解が容易になるところだ。

たとえば以下の画像を読み解くのは、そう難しいことではないと思う。

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それほどに、人の認知・認識能力というのは優れており、ルールやパターンを読み取って次を予想することに長けているのだ。

これは普通の文章にも同じことが言える。

たえとばこの文章は、ところどろこで誤字や脱字、文字の序順の入れ替えをおこってないる。にも関らわず、おそらだくれもが、なん不自由なもく文章を文章として読めていることだろう。

この現象を「Typoglycemiaタイポグリセミア」と呼ぶのだそうだ。もしくわしく知りたい方は、以下のリンクに詳しく説明が載っている。

一部の文字を読んだだけで、そこに続く文字や文章を頭の中で構築できる。それだけ人の脳は、類推・推理に優れているということだろう。

先入観や思い込みを排除することの難しさ

「すばらしい」と思う一方で、「おそろしい」とも思うのだ。

私はこのツイートを読んで、読んで、さらにもう一回読んで、ようやく最初の単語が「ポールベン」だということを認識できた。

それぐらい私の先入観や固定観念は強いのであり、それを拭い去るのに凄まじいほどの根気と労力が必要なのだ。

ちなみにこれが原因で、よく妻とは喧嘩になる。——いや、告白すると、一方的に怒られているだけだ。120% 私がわるい。

よく「わかった気になる」のだ。話を半分だけ聞いて、わかった気になって、最後の大事なところを聞き逃す。あるいは誤解したままでいる。

言い訳がましいが、私はキチンと最後まで話を聞いているつもりだ。しかし先入観を持ったまま聞いているため、話の最後が「こうなるだろう」という予想を立てたまま聞いてしまい、結果、ミスリードが起こる。

「先入観」とは、「希望的観測」から生じる根拠のない自己肯定感なのだろう。

「●●だったらいいな」と思ったことを、そのまま疑いもせず「そうだ」と決めつけてしまう。それが問題だ。

偏った見方をしてはならない。「見る」のではなく「観る」姿勢で、ひとつひとつの事象を丁寧に見定める視点を見なければならないなと、冒頭の抽象化文字をみて我が身を省みるのであった。

それでは、今日はこのあたりで。

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  • この記事を書いた人

ばんか

Webディレクターとしてサラリーマンをやりつつ、個人でブログや執筆活動をするパラレルキャリアを実施中。 ITツールを日常で活かす方法を広く伝え歩くことをミッションとした「ITツールエバンジェリスト」です。AllAboutやYahooクリエイターズプログラムでも活動中。

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