おとなってときどきずるい。おとなができないことを、こどもにはだめっていう。
「信号は守りなさい」っていっておきながら、となりのサラリーマンが赤信号を足早にかけていったり、「集中して食べなさい」っていいながら、向こうのテーブルではスマホを見ながら食事をしてる。
プリキュアというアニメがある。悪者が出てきては変身をしてやっつける、昔ながらの仮面ライダーやウルトラマンなどと同じような「お決まり」が楽しいアニメだ。
プリキュアは1年間で1クールが終わり、次のシリーズに移行する。ぼくの娘が最初に見たのは「プリキュアアラモード」で、翌年には「HUGっと!プリキュア」が始まり、いまは「スタートゥインクルプリキュア」が絶賛放送中だ。
シリーズが変わっても、本筋に大きな変わりはない。プリキュアがいて、敵対する勢力があって、プリキュアになるために必要なアイテムがあり、衣装があり、決め技を発するためのアイテムがある。
すごいのはおもちゃメーカーだ。新しいシリーズのプリキュアが始まると、店頭にあった前シリーズのプリキュアグッズは即座に取り払われ、もう新シリーズの商品が立ち並ぶ。
しかも、まだ放送されていない変身グッズやキャラクターも、おもちゃのほうが先行してネタバレをしていくのである。
強制的に古くなるおもちゃ
「お決まり」だからこそ、商品かもある程度パターン化できるし、予想もできるから、開発なども迅速に進められるのだろう。妻とはよく「うまい商売だ」と感心しつつ、こどもを持つ親としては毎年ヒヤヒヤさせられている。
シリーズが変われば、いままで持っていた前シリーズのアイテムや衣装は「古い」ものとなる。物として劣化していくのではなく、強制的に「古いおもちゃ」としてのレッテルを貼られるのだ。
そして新シリーズで登場した変身アイテムや関連おもちゃなどの「新しい」ものが欲しくなる。当然だ。ごっこ遊びをするにしても、昔のプリキュアを題材にするよりは、今放送している最新のプリキュアで遊びたい。
しかしおとなは「もう同じもの、持ってるでしょ」といって、おもちゃを買うことを簡単には許してくれない。それもそうだ。シリーズが変わるたびに新しいものを揃えていたら、イタチごっこで、制限なくお金を出していかなければならない。
それを納得させるために「我慢も大切」「この前買ったものを大切にしなさい」「お金は大切なの」なんて口実をかき集めて、どうにかそれらしい理由として形作っている。
おとなだって、こどもと同じ
しかし、おとなだって同じようなものだ。新しいiPhoneが出れば買い換えるし、新しいカメラが出れば欲しくなる。
今あるものが使えなくなったわけでもない。場合によっては不満足さえ感じていない道具もある。それでも「新しい」ものが出て、相対的に「古く」なっただけで、買い替え対象とされてしまう。
おとなはずる賢いから、古いものを売って、新しいものを買うための資金の足しにしたりする。自分で自分を納得させるための理由を並べて、お金があるからと平気で新しいものを買う。
こどもにはだめといいながら、おとなは自分勝手に新しいものを買い漁るのだ。
心の贅沢とは
まぁ、これが絶対に悪いことだとは思わない。「自分で稼いだお金を好きなように使って何が悪い」という言い分も、一理あるし否定はしない。
けれども、こうしてイタチごっこに新しいものを欲しがる心を「いやしいな」とは思う。
際限なく自分の欲求に溺れていって、我慢をせず、ものに振り回される心というのは、なんとも貧しい気がするし、ぼくにはとても寂しそうに見える。
エコファボって考え方
ぼくは「エコファボ」という考え方をずっと大切にしてきた。「エコノミック・フェイバリット」の略で、ぼくが勝手に作っただけ。ググっても出てこないよ。
もともとは「FORZA STYLE」というメディアが提唱する「エコラグ(エコノミック・ラグジュアリー)」があり、ぼくのはそれをパクったものだ。
「エコラグ」とは、極めて経済的だが、上質さやエレガンスを失わないスタイル。「多くの粗悪なものより少しの良い物を」という干場の哲学により生まれた造語。
腕時計や靴・鞄、スーツのように長い年月使えるものは高額でも、白シャツや白無地のTシャツのように常に白いまま清潔に着たい消耗品は、高額なものよりもコストパフォーマンスを重視するというスタイル。
via:紳士のアクセはこれしか許されない? シグネットリングの起源とは | FORZA STYLE|ファッション&ライフスタイル[フォルツァスタイル]
この考え方は大事だし、ぼくが昔から大切にしてきた想いと同じだった。ただほんの少しぼくの想いと違うのは、ぼくは必ずしも「上質さでエレガンス」である必要なないと思っている。
たとえば「良い腕時計」を買おうと思ったら、10万円では足りないだろう。時計の世界は際限がないので、上を見れば100万円を超えるものも珍しくない。
しかしそこまで高級なものでなくても、「心の上質さとエレガンス」は手に入る。それがたとえ1万円のKnotの時計であっても、自分が本当に気に入っていて、長く使い続けられるのであれば、それは100万円の時計にも匹敵するのではないかと考えている。
だからぼくは「エコファボ」。
たとえばぼくが右手につけているピンキーリングは、かれこれ学生時代からの付き合いだ。左手にしているブレスレットは、一度紐が切れてしまったけど、自分で編み直して修理した。
万年筆はパイロットのセンチュリーを一本と、鉛筆はファーバーカステルのエモーション。いつも持ち歩くのはこの2本だけだ。
カメラはLUMIXのG3を、かれこれ10年以上使い続けている。ファインダー付きのマイクロフォーサーズってことで、持ち歩きにも便利だし、スマホよりも良い写真が撮れるしで、とても重宝している。
どれも、べらぼうに高い物ではないけれど、ぼくにとってはお気に入りで、これからも長く使い続けたいものばかりだ。
執筆後記
「物には魂が宿る」って話があるけど、半分かそれ以上は「ありえる」と信じている。そう思っていたほうが、物への愛着が湧くし、大切にしたい気持ちが溢れてくるから。
物が溢れる時代だし、スマホでポチッと手軽に買えちゃう時代。自分のお気に入りを見つけるのが難しくはなってると思うけど、そういうものを見極める力っていうのが試されてるんじゃないかなぁ。