面倒なことは嫌いです。無駄なことは嫌いです。でも、ライフログは続けて行きたいと思うのです。
大切だと思うからこそ、自分に関するログは残していきたい。
しかし、それでもやはり面倒なことは続きません。難しいことは苦手です。そんな私がライフログを取り続けていられるのは、この3つを守っているからでしょう。
◆無理なく
◆無条件に
◆無駄を楽しむ
この3つがあるから、私は "適当に" "肩の力を抜いて" "気楽に" 続けていられます。この3つこそが、ライフログを続けるコツの中心にあるのでしょう。
無理なく
無理はよくありません。無理をすればするほど、事は面倒になり、続かなくなります。
大事なのは、自分が「無理をしている」と感じる境界線を知ることです。
例えば私はEvernoteに、持ち物のリストを付けています。今自分が所持しているものと、新しく手に入れたもの。これらを写真としてEvernoteにまとめています。
写真を撮ることに対して、私は無理を感じません。iPhoneの通知センターから「FastEver Snap」を起動し、シャッターボタンを押すだけですので、大した手間だと感じていません。
写真にテキストを残すこと。これもまぁ、"あまり" 手間を感じません。一行ぐらいで済む何かしらの一言コメントを残すぐらいは良いです。
じゃあ「購入した場所の情報を入れて」「価格を入れて」「使ってみた感想を記入し」「5つ星で評価する」なんて事はどうでしょう。とてもじゃあありませんが、やりたいと思いません。
ここが私の「無理だと感じる境界線」なんです。
やろうと思えば情報はいくらでも付加できます。ですが、面倒だと思った時点で、それは私に負荷をかける。無理を強いることになります。
すると途端に、すべての行動が面倒になってしまうのです。こうなるともう続かない。
自分が無理を感じる一歩手前で止めておくのが、一つ目の続けるコツです。
無条件に
自分に制限をかけないこと。これが2つ目に大切なことです。
例えば「日記は言葉で残すもの」と決めつけていませんか?もしそう考えているなら、その制限を取り除きましょう。
「写真」でも「動画」でも、「音声(言葉の録音)」でも良い。条件があるとすれば「形に残すこと」ですが、その形に制限は必要ないと思っています。
「こうあるべきだ」「こうしなくてはいけない」そう感じるものがあるなら、一度自分に問いかけてみましょう。「本当に?」と。
何にも囚われず、自由な発想で、自由な形で。これが2つ目に大切なこと。
無駄を楽しむ
先ほど「無条件に」と言いましたが、それが果たして一番効率的で正しい方法かなんてわかりません。「動画で日記を残すこと」が「絶対に良い」と言い切れる日が来るか…。私には分かりません。
それはもしかしたら、無駄になるかもしれません。
ですが、それでも良いのではないでしょうか。例え無駄になっても、「無駄だと知れた」ことが財産なのであって、「無駄を行うこと」が愚者ではないのですから。
また、「そもそも論」にもなってしまいますが、ライフログなんて役に立つかどうか怪しいものです。ここに絶対の保証なんてありません。
でも、その無駄があったからこそ得られる物がある事を、私は知っています。それは「笑い」かもしれないし「人への助言」かもしれません。もしくは「チャンス」か「出会い」か。
無駄だと思ったことが無駄ではなかったと感じられるのは、何かを得られた瞬間からです。であれば、人は無駄を積み重ねていく他ないのかもしれません。
少し脱線しました。要は、無駄をすることが実は楽しいんだってことです。
Try and Laugh at the Error.
無駄な事を笑い飛ばせるぐらい、余裕をもって生きましょう。
あとがき:Evernoteと付きっきりだから気がつくこと
最近は諸事情で、Evernoteと睨めっこする毎日です。そのため、多くの人の使い方・活用術を目にします。
そこで、改めてライフログの大切さを感じました。特に「育児の記録」などの「著しい変化を伴うライフログ」は良いですね。こちらまで笑顔になってしまいます。
人の記録で笑えるのだから、自分の記録なら抱腹絶倒ですね。その日を楽しみに、毎日ライフログを積み重ねています。
◆無理なく
◆無条件に
◆無駄を楽しむ
今日からやってみましょう。それでは、今日はこのあたりで。