ライフログ。日々の生活(Life)を記録として残す(Log)ことを指しますが、その形は様々です。
一番オーソドックスなのはテキストによる言葉での記録ですけれど、その他にも「写真」を使ってログを残す方法もあります。私もよく使います。持ち物の写真をまとめてみたり、毎日の服装を写真に撮って残してみたり…。
では、「写真で残すべきライフログ」って一体何があるでしょうか。
私はよくあるのですが、残し方で迷いませんか?言葉で残した方がいいのか、それとも写真を撮っておいた方がいいのか。どちらの方法で残すべきかを考えて、記録することを少し躊躇ってしまうケースがあります。
パッと思いつくものだと「言葉で表現できないもの」となるのですが、これをもう少し噛み砕いていったら、ライフログに向かう姿勢が変わる。そんな気がして、ちょっと考えてみたんです。
変化が微弱で感知できないもの
写真は、一瞬の時間を切り取って、それを目で見返せることに良さがあります。普段は景色やイベント事を写真に納めて、その思い出も見返すことに多く使われるでしょう。
例えばこれを、対象物を一つに絞って撮り続けたらどうでしょうか。
変化が一瞬ではなく、かなり長期間に渡ってしか観測できないような事柄も、これなら目で見て感じられるほどの変化にすることができそうです。
センスや趣味
それは例えば、センスや趣味にも使えます。日々変わらないと思っている自分の趣味嗜好でも、学生時代の写真を見返してげんなりした経験はあると思います。
ですから、「洋服」や「アクセサリー」などを含めた「自分の持ち物」を記録し続けていくと、自分の心の中の変化を垣間見ることができます。
顔
顔の形も、日々変化をしています。若い時が顕著でしょうが、これは大人になった後も同じです。シワが増えたり骨ばってきたりと、少しずつですが時間は人体に影響を及ぼします。
毎日の顔の写真を撮って、それを一覧にして みたら、自分の変化・成長が目に見えて感じられて面白そうです。確か、これと同じ事をやって動画として投稿した人がいたような…。
成長
成長も、長い時間をかけてゆっくり訪れます。一ヶ月前・一年前・五年前の写真を見返すと「あー昔はこんなだった!」と、時の流れを改めて感じさせられますよね。
特に幼少期の方が変化は顕著ですね。一ヶ月が経つだけで、全然違った姿かたちになるのですから、生き物ってスゴいと思います。
だから例えば、「飼い始めた犬や猫」、それから「生まれてきた子供」の写真を、毎日残してみてください。一ヶ月続けるだけでも、その成長の素晴らしさを感じられるはずです。
一瞬では感知できない変化も、写真でなら感じる事ができます。もしかしたら、毎日の出勤で通るあの道・あの街並みも、30年後には大きな財産になっているかもしれません。
変化が一瞬なもの
前項とは逆に、変化が一瞬なものも、やはり写真で残すのが良さそうです。目で見た一瞬で湧き上がった感情を再現するには、やはり写真で切り取るのが一番。
表情
あの人の笑顔は一瞬 です。それは、心が突き動かした身体の信号ですから。その笑顔をいつまでも大切にしたいのなら、写真で切り取って残しておくべきでしょう。
思い出
日常という線路から脱線したイベントに面した時、それは自分にとって大きく大切な思い出になる可能性を含んでいます。日常では感じられない、大きな変化を体感できるチャンスです。
その一瞬だけで、泣いたり、笑ったり、喜んだり、楽しかったり。心の起伏は自分が知覚するよりも早く変化を繰り返す。その一瞬を逃さず残せるが写真です。
写真は、被写体の感情を映し出すことができます。ですが同時に、撮影をしている本人の感情も、大きく影響するんです。一枚の写真には、ファインダーには写らなかった「あなたの感情」も同時に納まっているんです。
言葉だけでは表現できないもの
言葉だけでは残せないものも、写真でなら残せる。こういったものも多くありますね。
日本語は他の言語に比べても、感覚や感情を表現する言葉が多く存在します。しかしそれでも、言葉だけでは感覚を再現できないものも多いのです。
景色
目で見たあの情景を表現するのには、私は言葉を知らなさ過ぎます。なぜ子供の頃には、これほど写真の文化が発達していなかったのか。子供の頃のあの感動を思い出せない今を、とても悔しく思います。
写真であれば、なぜその情景に心が動いたのかを記録できます。そうすることで、私は過去をもう一度体感することができるんです。
思い出
思い出は、言葉でなんて表現しきれないほど、心の動きが激しすぎる。その一瞬だけで、泣いたり笑ったり喜んだりを繰り返している。それは、言葉では追い切れない変化。
写真でなら、思い出せるかもしれません。あのとき笑った理由を。あのとき泣いた理由を。
情報量が多いもの
最後は少し実用的な部分の話を。
写真は、ファインダーで覗いた部分を切り取ることができます。その覗き見た部分が、いかに過密で複雑な情報だったとしても、目で見たままに残して、再現してくれます。
紙のメモ
例えば、紙に書いた図。言葉だけでは理解しにくいことでも、紙に書けば分かりやすく体系化することができます。
これを記録として残すには、やはり写真や画像で残すのがベストでしょう。言葉で表現できなかったものを、いつでも見返せるように、視覚できる情報として残しておくのが良いですね。
過度な文字列
テキストが無尽蔵に羅列されてる場合、それをいちいち自分の手を動かして転記するのは得策ではありません。そこに割く時間は、2分や5分の話ではないでしょう。
ならば、見たままの状態を切り取ってしまえばいい。そうすれば、残すのにかかる時間は一瞬であるにも関わらず、100%を再現できるでしょう。
景色
視覚での情報は、自分が思っているよりもずっと多くの情報が頭に刻み込まれた結果です。
さきほども例に出した「景色」ですが、これもある意味「情報量が多すぎて言葉にできないもの」の一つと言えるでしょうね。
あとがき
言葉では言い表せないものって、結構ありますよね。
なのに、それに気がつけるのは写真による記録をやってみて、その効果を体感してみない限り、なかなか実感できないという。何とも皮肉な感じです。
ですから、「迷ったら写真で残す」というのは有効な気がします。
記録を残すのに必要なデータバンクの単価がこれだけ下がった昨今なら、とりあえず写真で残していっても、そうそうパンクすることもないでしょうから。
それでは、今日はこのあたりで。