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夫が妻に「俺は◯◯したからお前は△△してね」理論を持ちだしたら終いよ

「家事ぐらいちゃんと完璧にやってよ」
「休日ぐらい休ませてくれよ」
「子どもの面倒みるのは妻の役目でしょ」

そんな言葉をたまに耳にしますが、これらはすべて間違いだと私は思っています。

と言うのも、この言葉の裏にはすべて「俺は仕事して、働いて、お金稼いでいるんだから」という枕詞が潜んでいるからです。

俺は◯◯をやってるんだから、あなたは△△するべきだ。この等価条件は、家族の中で求めてはいけないものである。私は自分でそう決めています。

自分はこれだけやっているのだから、あなたもこれぐらいやってくれて当然だ。自分の行為に対する見返りを家族に求め始めたら、それは家族のあり方として終わりなんじゃないかとすら思います。

言いすぎかな。――でも、やっぱり家族って、そういうモノサシを持ちだしてはイケない間柄なんですよ。

自分を豊かにするために家族がいるんじゃない

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自分が行った行為に対して、それと同等の対価を相手に求める。それって結構、自分勝手ですよね。

例えばそれは、人を雇うときは正しいかもしれません。これだけのお金を払うのだから、それ相応の働きをして欲しい。これは正しい使い方だと思います。

しかしこの行為の裏では、「自分に何かしらの利益を相手にもたらしてもらいたい」という気持ちがあります。そりゃそうですよね。お金を払ってまで雇っているんですから。その見返りとして、何かしら自分に得がなくちゃ。

じゃあこれが例えば夫婦で成り立つのか。否、そんなことはありません。

だって、妻は雇われたわけじゃありませんし、妻は夫を幸せにするためにいるわけでもないのですから。

逆もしかり。夫は妻を幸せにするためにいるんじゃありません。

家族は、自分を豊かにしたり、幸せにするためにいるのではありません。自分が中心にいて、それを取り囲むように存在しているんじゃない。

私と妻と、そして娘と。家族が揃って、みんなが一つの和となって、幸せや豊かさを目指して進むもの。

"個" じゃなくて "和" なんです。

だから、「自分は◯◯したんだから、お前はその分△△しろよ」って言って、"個" と "個" をぶつけ始めたら、それは集団として終いだと思うのです。

闘う相手ではなく、一緒に闘う仲間

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妻とケンカをすると、たまに勘違いしそうになるんですけどね。

言い負かしてやろう。自分の正しさをわからせてやろう。短期的な勝負に発展して、勝ち負けをつけようとする。相手に対して優位に立とうとしたり、自分が下にならないようにもがいてみたり……。

そういう姿って、滑稽です。

だって、家族って仲間じゃないですか。チームじゃないですか。同じ目標に向かって進もうと誓った相手じゃないですか。

家族って、お互いが見つめ合うものじゃないと思います。肩を並べて、同じ方向を向いて、一緒に進んでいこうぜ!って決めた相手。それが結婚で、それが家族です。

だから、「自分は◯◯したから、あなたは△△してね」理論、つまり自分の成果と相手の成果を比べても、なんの意味もありません。

綱引きをしても仕方ないんです。お互いが同じ綱を引っ張りあって力比べをしても、その行為からは何も生まれません。

天秤のバランスを保とうとしてもダメなんです。自分が行った成果の量と、相手の行った成果の量。それらを比べて勝った負けたを決めても、そこから何も生まれません。

正しいのは、二人の成果が正しい方向に向かっていて、お互いが相手の成果に感謝する。コレに尽きると私は思います。

好きだ好きだも大切ですが、見つめ合ってばかりいるような相手なら、結婚はしないことをオススメします。

愛おしく見つめていた目は、いつしか相手を睨みつけ、抱きしめていた手の平をいつの間にか固く握りしめることになるからです。

役割が違うんだから成果は比べられない

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「自分は◯◯したから、あなたは△△してね」理論の変なところは、成果を単純に比べられないところでもあるんです。

例えばロールプレイングゲームなら、攻撃役と回復役っていますよね。

回復役はもちろん、仲間の補助が一番の役目になっています。従って攻撃役の人が「俺が相手にこれだけダメージ与えてるんだから、お前も同じだけダメージ与えろや」というのは変です。

また、「俺が与えたダメージ分、お前も同じ分だけ働けや」というのも難しい。

攻撃役は「ダメージ」という目に見える成果がありますが、回復役に同じような「測れる成果」はありませんから、比べようがないのです。

「回復した量」で比べようと思ったら、攻撃役に対しても回復した量を求めなければなりません。しかしそんなことを言ったら攻撃役は「それは俺の役目じゃねぇ」と反発するでしょう。

役割が違う者同士がお互いの成果を比べても仕方ありません。

チームとして目的を達成していれば、それで良いんです。ロールプレイングで言えば、敵を倒せたらそれでOKです。

あと、ロールプレイングゲームでは「レベル上げ(経験値稼ぎ)」ってあると思います。格下の敵を相手にひたすら戦闘を繰り返す。そこに回復役の出番はほとんどありません。

でも、そこで活躍しないからといって、回復役を責めることはありません。だって、このパーティーの中で回復役は必ず必要だとわかっているから。

レベル上げをしている今は役に立たなくても、これから控えている強敵との闘いで必ず役立つとわかっているから。だから一緒に経験値を稼ぐんです。

夫婦だってそうです。お互いの行為にポイントなんか付けられないんだから、それを相手と比べようとしても無理がありますよ。

それでも男ってバカだなって思う

男はいいですよね。男って楽ですよね。

金を稼いでいればそれで文句は言われないと思っていられるんですから。

「給料」って目に見える成果があるから、「自分はこれだけやったんやー(ドヤァ 」と威張っていられるんですから。

私もたまに、心の奥底でそう思うことがあります。「いや、俺は家のために金稼いでんだから、家のこと・娘のことはシッカリ頼むよ」と、ふと心に浮かんでしまうことはあります。

でもね。私がお金を稼いでいることは、家事や娘の世話を妻に押し付けて良い理由にならないんです。

自分の成果を盾にして、家族を攻撃するのは、もうやめましょうよ。そんなことをしても、みんなが疲れてしまうだけです。

私が考えるべきなのは、家族という "和" をどうやって笑顔にするか。それだけです。

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ばんか

Webディレクターとしてサラリーマンをやりつつ、個人でブログや執筆活動をするパラレルキャリアを実施中。 ITツールを日常で活かす方法を広く伝え歩くことをミッションとした「ITツールエバンジェリスト」です。AllAboutやYahooクリエイターズプログラムでも活動中。

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