「うそ」と「ほんと」を見分けるとき、その文章の主語がものさしになるのだと言います。主語の大きさに注目してみると、その言葉の真偽が測れる。
主語が「わたし」や「ぼく」であった場合、その言葉が「うそ」である可能性は少ない。その主語を使ってつく「うそ」は勇気が必要で、「うそ」をつきづらいものです。
主語が大きくなればなるほど、「うそ」はつきやすくなります。「ぼくら」「わたしたち」といえば、意見の出処が少し曖昧になるでしょう。言葉のもつ責任も軽くなります。
なので、その言葉の真偽を測るには、その言葉の主語が何かに注目してみるといい。
じゃあ、ワタシはこのブログで、どうだっただろうか。
ワタシは常々、このブログでの主語は常に最小単位でありたいと思っています。すべては「ワタシ」を主体とした話であって、一般論や他人の評価をみなさんに届けたくはないのです。
他人の言葉を借りるのは非常にカンタンです。
「彼はこう言っていたよ」
「世の中ではコレが流行っているよ」
「これは本当にオススメだよ!(だってみんなが奨めているからね)」
でも、これらの主語を大きくして綴り続けていたら、いつしか書き手が入れ替わる。「うそ」が「ほんと」になってしまう。そんな怖さがあります。
大きな主語がブログの書き手になり、ワタシは書かされているだけの人形。昨日と同じことを繰り返すだけの「作業」になってしまいそうで。
ワタシは文章を書いていたい。ワタシが文章を書きたいんだ。
このブログにはワタシの血と涙と鼻水と手汗が入り混じって作られていて、他の誰でもないワタシの財産でありたいのです。
自分の言葉を強くしたいから、大きな主語を使うこともあります。「一般的にはこうだよ。でも、ワタシはこうだよ!」ってね。
でも、いつでもワタシが主体。ワタシが、ここにいる。
あとがき
ブログを書くことが、ちょっとした流行りみたいになっているように感じています。「ブログ飯」や「プロブロガー」なんて言葉を目にする機会も増えましたしね。
でも、その中のいくつぐらいが「血の通ったブログ」になるでしょうか。
なんでブログを書いているのかって理由付けが、ワタシがブログを始めた頃よりも大事になっているような気がします。目移りしやすい時期って感じがするのでね。
そんな話を、この前のブロネクで話していました。ぜひご参考に。
それでは、今日はこのあたりで。