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僕ら夫婦が「仲良いね」と言われるのは少し非常識な3つの「ない」を大切にしてるから

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結婚っていいもんだ。夫婦っていいもんだ。僕はそう思っています。

しかし世の中には「結婚は人生の墓場だ」なんていう人もいる。それはとてもとても残念なことだ。こんなにも素晴らしいものを。こんなにも人生のスパイスになるものを。

正直、僕の夫婦生活は比較的うまくいっている方だと感じています。最近では「ばんかさんとこって、仲良いよね」なんて嬉しい言葉をもらうことも多い。嬉しい限りです。

それはひとえに妻の努力や性格によるところも大きいのだけれど、一部では僕の、僕らの考え方がちょっと独特だからゆえに、夫婦生活・家族生活が円満なのやもしれません。

僕らにとっては普通の考え方。でももしかしたら、あなたの常識とはちょっと違うかもしれません。

今日は僕が思う「夫婦・家族生活を円満にするのに必要な考え方」を3つほどご紹介しますので、少しご自身の考え方と照らし合わせてみて、そして考えるキッカケにしてみてください。

Give and Take じゃない

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自分の伴侶に対して、見返りを求めたらオシマイです。「自分がこれをしたのだから、相手もこれをしてくれて当然」そういう感情を持ち出すと、夫婦生活は破綻します。

というより、相手への不満ばかりが募って、妻のことを正しく見ていられなくなると思います。嫌なところばかりが見えてきて、好きじゃなくなっていく。

「なんで僕はこれをして “あげた” のに、妻は僕に優しくしてくれないんだろう」
「なんか僕ばっかりが皿洗いしてて、妻はサボってる」
「僕は仕事を頑張ってるんだから、家の掃除ぐらいキチンとやって欲しい」

口から漏れるのは不満ばかり。

でもそれはお互い様。僕が気づいていないところで、僕の想像も及ばないところで、きっと妻は僕のために色んなことをしてくれている。妻は僕なんかよりも先を見据える力もあるし、想像力もあるから、いろんなことを先回りして準備をしてくれている。

そういった「目に見えていない優しさ」をもらっているのに、自分が「見えていないから」って「優しさをないものとする行為」は、良くないですよね。

等価交換ではなく、奉仕の心こそが大事。結局は「やさしさ」ってのが大事なのです。

好きだからじゃない

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妻のことは「好き」ですけど、「好き」だけじゃないです。「なんで結婚したの?」と聞かれるのですが、僕の答えはいつも決まっています。

「この人となら、死ぬまで飽きないだろうなと思ったから」

好きだ嫌いだなんていう、一時的な感情を僕は信じてはいませんし、それを理由に一緒にいるなんてことは皆無です。「ずっと好き」なんてありえない。ときには「嫌い」になることだってあります。

でもそんなものを平気で乗り越えられるほどの繋がりが、妻と僕との間にはあります。感情なんかに振り回されない、揺るぎない地盤があります。

信頼・敬意・尊敬・安心・気楽・素直。

僕は妻を尊敬しています。僕なんかよりよっぽど仕事もできるし、気が使えるし、人望も厚いし、頭も賢い。僕にないものをいっぱい持っていて、逆立ちしたって敵わない。そんなことはとっくの昔から知っています。

でもきっと、彼女も僕のことを、一部ではそう思っている。彼女にないものを、僕は持っている。そうやってお互いがお互いを認めあっているので、基本的に二人の関係は揺るがないものになっています。

ケンカ、めっちゃします。言い争いもします。しょっちゅう怒られます。けちょんけちょんに言い負かされたりします。ふざけんなって思ったりもします。

でも結局、僕はこの人と一緒にいたいと思えるんです。そう思える理由があるんです。「なんやかんやあったところで、結局は一緒にいるんでしょ」って、絶対的な自信があったりするのです。

「妻の尊敬できるところなんて、一つもない」 もしそれが本当なら、なんで結婚したんですか?

家族が全てじゃない

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「個人の充実なくして、家族の充実はあり得ない」 これが僕の考え方です。

僕には妻がいます。そしてもうすぐ4歳になる娘がいます。僕にとって唯一無二の家族であり、何よりも大切なものです。命をとして守るべき対象です。

しかし、僕にとって家族は、僕の中の一部でしかありません。僕という人生を構成するものの一部であり、それが全にはなり得ません。

それは妻にもいえること。彼女は僕の伴侶であり、娘にとっての母親です。しかし一人の個人であり、人生があり、夢があり、将来があり、欲望があり、野望があります。

こうした「個人の人生を互いに尊重し合う関係性」こそ、夫婦・家族生活の中では最も重要だと考えています。

僕らは家族ではありますが、それより以前に個人です。家族なんて個人の寄せ集めなのです。そういった考え方が僕と妻とで一致していて、僕らの目指す家族像は自然と「自分の人生を歩き続けること」なのです。

これは4歳を間近に控えた娘も同じ。彼女はまだ小さいので僕ら親のガイドが必要ですが、「子ども」扱いは基本的にしません。ひとりの個人として接するようにしているんです。

僕ら3人を総称するなら、それは「世帯」でしかありません。「家族」とは「僕ら3人」のことを示す言葉ではなく、僕ら3人を結びつけている繋がりのこと。互いを結びつけている “糸” こそが “家族” なのです。

僕ら3人は、それぞれが自分達の人生を歩んでいく中で、「家族」という繋がりで結びついたパートナーなんです。

執筆後記

いかがでしょう。少しでもご自身の糧になりそうなものはありましたのでしょうか。

僕は、夫婦生活を円満にしようとか、妻といつまでも仲良くいたいとか、そういう意図を考えたり、打算したこともありません。

結構自己中心的に考えていたりします。だからこそ、自分がしてもらえたら嬉しいことを相手にもしてあげたいとも思う。相手の荷物をちょっとでも肩代わりしてあげたいって思うのです。

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  • この記事を書いた人

ばんか

Webディレクターとしてサラリーマンをやりつつ、個人でブログや執筆活動をするパラレルキャリアを実施中。 ITツールを日常で活かす方法を広く伝え歩くことをミッションとした「ITツールエバンジェリスト」です。AllAboutやYahooクリエイターズプログラムでも活動中。

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